「本を読む本」を読む
いつもお世話になっております。
今回は読書記録ということで、先日1回目の読了が完了した「本を読む本」について概要の紹介と感想を述べたいと思います。
並木裕太さんの「コンサルが読んでる本 100+α」で紹介されていたことが、この本を読んでみようとしたきっかけです。
本について
基本情報
タイトル:本を読む本(原題: HOW TO READ A BOOK)
発行:講談社学術文庫
発行年:1997年10月10日 初版/2022年5月11日 第70版発行
著者:M.J.アドラー, C.V.ドーレン
翻訳:外山滋比古
定価:1070円(税別)
内容紹介(裏表紙より)
本書は、一九四〇年米国で刊行されて以来、世界各国で翻訳され読み継がれてきた。読むに値する良書とは何か、読書の本来の意味は何かを考え、知的かつ実践的な読書の技術をわかりやすく解説している。初級読書に始まり、点検読書や分析読書をへて、最終レベルに至るまでの具体的な方法を示し、読者を積極的な読者へと導く。単なる読書技術にとどまることなく、自らを高めるための最高の手引書。
本書を知るための4つの質問
Q) 全体として何に関する本か。
A) 本から何かを学び、理解することを目的とする人が、読書技術(積極的読者)を磨いて優れた読書家になるための本。
Q) 何がどのように詳しく述べられているか。
A) 読者が本から学ぶために必要な四つの読書レベル(初級読書・点検読書・分析読書・シントピカル読書)の概念および実践方法を示し、それら技術の実践により積極的読書に必要な「本との対話」を行うことで、本の主題を自分の思考の世界で位置付けることができる、つまり真の意味で理解することができると述べている。
Q) この本は全体として真実か。どの部分が真実か。
A) 今の自分には全体として書いてあることは正しく感じる。本書に記載されている読書方法を実践し続けること、そして本書を繰り返し読み直すことによって、賛同できない部分も出てくるかもしれない。
Q) それにはどんな意義があるのか。
A) 本書の読書方法を実践することで、本の取捨選択ができるようになる(時間をかけて分析読書をするに値する本なのか、点検読書程度で済ませて良いものであるのか)。正真正銘の良書を見つけることができれば、それは最高の読書術でも理解することが難しいような本であるが、再読を繰り返すたびに読者の精神をより高い水準に引き上げてくれる。また、シントピカル読書まで実践することができれば読者は何冊もの本から自分なりの主題発見や分析が(本に書いてあること以上を学べる)できるようになる。
個人的に気になったポイント・感想
全ての読書が対象ではない
この本はタイトルの通り本の読み方を指南する本であるが、前提として著者が示す「本」と「読む」が何を示すのか定義する必要がある。なぜならば、この定義を明確にすることでこの本の対象読者を絞ることができるからである。
ここでいう「本」というのはフィクションや雑誌ではなく、知識の伝達を第一目的とする「教養書」である。一応本書第三部には"文学の読みかた"という章が設けられていているが、これは本書その他の章立てで示している読書法が文学(小説や戯曲、詩)を対象としていないことを表明するための章とも言える。また、雑誌や新聞のような、読み手の理解力に応じてすぐ内容が理解できるもの、すなわち情報を増やしてくれるだけで理解を深めることに役立たないものも「本」の対象外としている。
そして「読む」ということは積極的に読むことを指し示している。本書を読む前の私もそうだが、一般的なイメージとして「話す・書く」は能動的で「聞く・読む」は受動的というのがあるかもしれない。しかし難解な本を理解して真の意味で自分のものにするためには、積極的な読書が必要であると本書は述べている。積極的な読書というのは、本文中の言葉を借りるなら、
努力して読むに値する良い本に見返りを期待して精神を読書に集中すること
である。
つまり、自己啓発や勉強のため(見返りを期待している)の本をソファーで寝っ転がりウトウトしながら読むなどということは、そもそも自分の本への期待と自分自身の行動が一致していないと言えるだろう。まさしく言行相反、矛盾撞着。(これは自分への戒めです。ごめんなさい。。)
私自分のことを結構読書好き、読書家だと思っているものの、本から学んだことが全然実行できていないな、アウトプットできていないなと日々モヤモヤしていた。この部分は、ただただ学びたい本を大量消費しているだけの自分の読書方法に問題があるのだと気付かされたポイントである。
また、読書後にはアウトプットが大事!と色々なところで言われているが、どんなにアウトプットを頑張ろうとしても、大前提のインプットに問題があるとどうしようもないのだろうと感じた。結局良質なインプットによって真の意味で理解して自分の血肉にしないと、アウトプットの方法論だけどれだけ学んでも良いアウトプットは出ないのだろうなあ。 もう一つの側面として、積極的読書は読書と言いつつもアウトプットな要素もあるので、そういう側面もアウトプットに繋げやすい一要因なのかもしれない。
言葉は不完全なツール
前の章でも示したように、本の内容を理解するためには著者の言葉の使い方を理解することが重要である(本文中ではこのことを"著者と折り合いをつける"と表現している)。
これは分析読書の要点の一つとして本文中で挙げられており、著者の言葉の使い方を理解しないと著者が本で示す命題に対する論証は正しく理解できず、分析読書の目標である本の正しい批判(著者の主張を理解し、著者と対等に肩を並べ語り返すフェーズ)を実践することができない。
そのような意味でも、言葉は不安定なものであるというマインドセットを持つことが大事だと感じたし、著者の論述を噛み砕き積極的に解釈に努めることが、これまた自分が思っている以上に読書が積極的な行為であることを思い知らされた点であった。そして、この"言葉は不完全である"というマインドセットは読書に限らず普遍的に必要な感覚であると感じた。
例えば、日頃の仕事でも言葉の解釈違いによる意思疎通の齟齬は往々にして起こっていると感じる。
(少し読書から話が外れます....)
テレワーク時のチャットベースのやり取りは特に、お互いに勝手がわかっているベテラン同士であれば何も困らないだろうが、新人とベテランの業務関連のチャットコミュニケーションでは時たま意思疎通のトラブルが発生している現場を観測している。
仕事で使われる単語が含むコンテクスト・概念に双方の間で相違があることが原因だろう。本書ではそんな名辞・命題に対する語句や文の関係性など少し哲学のような説明もあって面白い(ちなみにM.J.アドラーはシカゴ大学の哲学教授である)。
終わりに
冒頭で記述した4つの質問は、まさに著者が本書で示した「意欲的な読者が本に対して問いかけるべき4つの質問」である。問いかけるからこそ読者は欲しい答えを得られるのである。
そして終わりに言うのも躊躇われるが、私自身この積極的読書の「型」はまだまだ習得できていないし、この本に対して十分に分析読書ができていると状態ではないかもしれない。
だからこそこの本は定期的に読み直さないといけないと感じているし、本書のように再読の価値があると感じる本を、本書の読書論を通してうまく見出すことができるようになるのであれば、読書が好きな私にとってこれ以上嬉しいことはない。